テトラポットの政

ひとりごと、ことばの新陳代謝

NOT FOUND

6、7年くらい使っているこのiPodに入っている

曲の大半を未だにしめている、

ミスチル

好きになったきっかけの彼

 

まだMDを使ってた中学一年生のときの話で

 

その人とはこれからの人生で再び交わることも

ないだろうと

私が思い出すことも、その人が私を思い出すこともないだろう

あっても数年に一度くらいの

 

でも

その人がそのときには考えられないような人生を歩いていて

私もそのときには考えもしなかった自分になっていて、

 

それをふと考えるとき

生きていてよかったなあ

何かしら進んでるんだなあって

 

そしてこれからも

なにか今は想像できないことが

起こるんだろうって

 

もがいて泣いて苦しんで

舞い上がって喜んで

そんな風に

目の前の感情に振り回されながら

 

でも

過去にも生きていた自分に

未来にもまだいるだろう自分に

会って

たまに話をしよう

おにぎらずが秀逸

おにぎらずが流行っているのが好き。

個人的に、心の中で大絶賛。

 

パンケーキとか、

特別なスイーツとか、

どこかに食べにいくのがメインの食事じゃなくて、

 

作る、っていうベクトルで流行っているのがすき。

簡単で、見た目も良くて、美味しいし、

中に入れるものも「おにぎり」より可能性が広がって、

栄養バランスも取れそう。

 

流行ってるからつくってみる、シェアしてみる、

インスタにあげる、

それで誰も損をしないし、見ていてほっこりするのって

なんかしあわせ。

 

おにぎりとか、のり巻きとか、

あまりに昔からあって定番なものが、

ウケ狙いとかじゃない形で進化するのは、感動。

ユーザー寄り、とか

オープンソースとか、そういうかんじで

可能性を感じてしまう。

 

でもデザイナーにはなかなかできなさそうなデザイン

 

手間ひまかけた料理ではないけれど、

でも手抜き料理というには優れてるし、ましてや買うごはんとは違う

ちょうど料理の入り口にあってきっと親しみやすい

 

ブラックのにおいがしない流行りかた

 

ブームが去ったとしても日本の食卓にほそぼそ現れるんだろうなあ

ロングライフなにおいがする

 

 

とりあえず、

おにぎらず、って名前が秀逸

 

終りのうた

満開のさくらが土手に咲いている

晴天のすこし肌寒い日

突然つよい風が吹く

目も開けられないくらいの北風。

 

目を開けると花びらが一面に舞っている

それが土に触れる前にまた

浮かぶような風が、今度は南から、優しく吹く

 

いくら風が吹いたって枝から花は奪えない

風は手加減しているわけでなく

優しいのだ。

 

彼の役目はその春を終わりにすること。

それでも

花びらを傷つけないように軽快に、

そう装った慎重さでことを運ぶ

 

木の下ではシートが飛ばないよう押さえながら、

花びらの入った日本酒を人々は飲む

嬉しそうに、酔っぱらいながら

私には気付いていない

 

私は別れを悲しんでいるのです。

少し強めに言ってみる

こんなにつらくて泣いているのに。

散り際のさくらが美しいと言ったのは誰だ

 

 でも、大丈夫だよ、綺麗だから。

と言い残して風は止んだ

彼のくれた凪、

私が覚悟を決める時間 

 

私は両手の花をおろさないように

それで人々が悲しまないように

精一杯太陽の方へそれを掲げた

そして目を閉じる

 

春の風が遠くの方でほかの花を揺らす

音の片鱗をつかもうとして、やめる

 

せめて夏の風のにおいを、この朗らかな日のもとで

感じようとする

 

 

私は彼に恋をしていました。

土曜のチェロ

彼の奏でるチェロが一階から聴こえる

それに重なる女性のヴァイオリン

音はぴったり寄り添っていて、

組木細工でつくられた精巧なテーブルのよう

 

曲の名前はわからない

のびのびと育った花があふれる小さい庭に置かれた

気取らない椅子に座ったときに頬に当たる風のように

軽やかに滑らかであたたかい

 

それを私は三階から聴いている。

午後に洗ったシーツが乾くように少し開けた窓から

鳥の声が入ってきて、そのメロディに加わる

 

もし出来ることなら今友人を呼んで、

玄関からではなく、この窓から、こっそり鳥を呼び込むように

その音を一緒に聴きたい

 

咳が出ないように少し口を押さえながら、

どこにも出かけられなかった土曜日の重い頭から

絡まっていた糸が一気に引き抜かれるように、

音は一糸乱れず通り抜けていく

 

今日は二月一四日

博士号を取るなら恋愛学がいい

好きなことを仕事にする、のと

好きな人と結婚するのと、

なにが違うんだろう

 

好き、なことは、まだ知らない何かがあって、

得体の知れない魅力があって、

本能がときめいて、

時間を忘れるような、そんなこころのうごき

 

理性で好きとか、得意だからとか、そういうのは、

どうなのかわからないけれど、

「頭ではわかってるんだけどでも・・・」

みたいなのが好き、

で。

 

それをコントロールしようとしているのが「頭」

理性なのか、現実なのか、

ぜひ「好き」とは反していたい。

反していて、それでも、じゃあわかったよ、でも気をつけるんだよ?

って本能についていってあげるガードマンくらいがいい

 

仕事も、結婚(付き合う)も、

一緒にいる時間が増えること。

たまには本能がわくわくしないときも一緒にいたり、

一緒に、いなきゃ、いけなかったり

で、嫌になるかもしれない

 

たまに嫌になるか、

うんざりして顔も見たくなくなるのか、

自分の答えに興味がある。

 

でも、それってやってみなきゃわからないから、

一回付き合ってみようと思う。

もやっと好きだったけど、理性が説き伏せていたその本能のわくわくを

現実はとかいってたその偉そうな口をたたき伏せて

どっぷり漬かってみようと思う

それで、

もううんざりだよ!!!

って言いたい

そんなにうんざりするほど好きなことできたら、

幸せじゃない?

って軽々しく数ヶ月後の自分に言ってみる、

にらみ返されそうな、

でも、わかってくれそう。

自分だし。

 

自分に嘘をつかないことは、

たまに自分を裏切ることになる。

自分が自信を持つために作り上げて来た道とか、

自分が自分で「信じて?」って堅めてきた城を壊す。

「案外自分の作品壊せるのって本人だけだったりするんだよなあ」

ってハチクロの花本先生の言葉

 

でもやっぱり、きらきらした目でその先のこと話せなくなったら、

裏切り時なんだと思う。

あとからもたもたついてくる「頭」を振り切りながら

全速力で走る

 

手に入れられそうな確実な何かではなく

もやっと想像できる向こうの方を見ていたい

 

「頭」と仲良くしすぎると、感覚が鈍る

 

想像力が死んだら

それが一番怖い

最高より最適

初めてお茶のお稽古に行った。

やりたいなとぼんやりしていた事のひとつで、

友人との出会いもあり、

今やらなかったら、ずっとやらない気がして

参加した。

 

「最高のことをやるか、最適なことをやるか」

 

0か100で何かを考えている事が多かった。

やる前に、これは今本当にやるべき事なのか、

私は本当にこれがやりたいのかって。

 

なにがethicalなデザインなのか、

デザイナーはどうあるべきなのか、

べき、で考えるとそこに答えらしきものは出るけれど、

それをすべて自分で叶えるのもあまり現実味がないし

やりたいとも思わない。

それでもやらなきゃいけないんだと勝手に思っていた。

 

これから「世界に」「社会に」必要なこといらなそうな事、

じぶんが気づいた事をすべて自分がやらなきゃいけない訳じゃなく、

ただそうあった方が良いというひとつの選択肢であって、

自分のやる事は世界や社会の一部でしかなくて、

例えばそれをやることで自分が苦しむだけだとしたら

それをやる「べき」なんてことは無いんだと思う。

 

やるかやりたいかは自分で判断したい。

 

自分の中で最大限の努力をするのは

後悔しないためにいいことでも

最高の人生、選択肢、判断をもとめて生きていたらきりがないし、

それってつらい。

自分の最高、を考えるだけで謎すぎて、

もはや最高かどうかは人生が終わるまでは判断できないし

比較の無限ループ。

 

ナンバーワンより、オンリーワン、

って考え方はわかるけれど、

自分で消化しようとしたときにどこかしっくり来なかった。

 

相対評価より絶対評価

自分の頭で自分なりの答えを出すこと、なのかな

 

最高より最適、

 

0か100かの話に戻ると、

もっと試し食いをしてからいろいろ決めてもいいのかな。

始めたら続けないとかっこわるいとか中途半端なやつだなんてことはなくて、

やってみたら合った合わなかったもあるだろうし、

そんなに身構えなくてもいいのかな

最高を求めるために全部試す必要もなくて、

 

試して、もっとやりたかったやればいいし

 今じゃないなって思ったら保留にすればいいし。

 

オンリーワンは絶対的な価値でも気負いでもなく

自分で試して、考えて、判断して、やること。

 

 

未練 ー未だ練れていない、まだ消化できない状態、悩み

自分で判断する ーお茶碗の正面はどこで、何が自分の意見か、道を渡ることも判断

生きていることの価値 ーそれが無いとしたら自分はどうするか、楽しもうよ

モノを持つこと ー死んだら全部ゴミ、なにが価値で、今それをどうしたくて、ただの執着なのか

最適 ーgood balance

 

 

 

 

 

 

やわらかい芽に雪

会いたい、

って言ってくれた人が違う国に行ってしまった

しかも一度しか会えずに。

 

今気になっている人も、

もうすぐ日本へ帰ってしまう。

 

さみしい

けど

 

すぐにその花を知ろうとしないで、

冬の雪の下に眠った芽を待つみたいに

静かな時間を掘り起こさずに

そのままにしておく方がいいのかな

 

毎日水をやって、

それが自分を苦しめた上

根腐りさせてしまうみたいに

 

やり過ぎがちなのは

自分でわかっている

 

自然に任せること、

流れに身を任せること、

ちゃんと出来たことが無いけれど

 

わざわざ力んで面倒くさい方へ突っ走らなくても

いいのかもね、

 

恋も人間関係もデザインも