テトラポットの政

ひとりごと、ことばの新陳代謝

つぶされるな

あの人が言った

 

恋愛に気をつけろ と

 

若い頃の判断で結婚はするな と。

 

恋愛をして

結婚をして

潰された才能を俺はたくさん知っている

 

だから、

そうなってほしくない と。

 

あの人の言うことは、

たいていにおいて

今まで正しかった。

そのときはいくら耳が痛くても。

 

だからそう言われたのが悲しかった。

 

私にとって恋愛は人生そのもので

つらくても、苦しくても、死にたくなっても、

呼吸のように恋をしてきた

 

死ぬほど嬉しくてドキドキして

あんなに誰かに会いたくなって

切なくなって

こんな大切な感情を恋愛の他に知らない

 

意識よりもっと深い無意識のようなところで

今までもこれからも私は

それを自分自身として

生きていく気がする

だからもし

未来にそれを否定したら、私の

とても大切なものが

否定されるような気がして

悲しかった

 

ふと、

ほんとうに

あの人が見てきた人たちは

つぶされた

のだろうか

 

と考えた。

 

名の知れたクリエイターはたくさんいる

たくさんの人に憧れられながら、

そのトップを走り続けて、

でもその生涯を知って

私はそれを幸せとは思えなさそうな人生。

 

結婚して、

落ちついて、

本人が前より幸せでも

それを他人が

才能がつぶされた

という。

 

その期待は、

世の中にとって価値のある何かだとする

世界の中のちょっとした価値だとする

でもその人の人生は一回で、

その人の中にある感情がその人の人生で

幸せを感じるのも悲しみを感じるのも自分

他人ではない

 

誰かの期待通り何かを成し遂げること

それが幸せであるとは限らない

その期待が本人の期待であったとしても

誰かの期待に塗り替えられてはいないだろうか

 

まわりの期待の無責任さは

時にそのひとを苦しめる

 

社会での役割のまえに

人は人間であって、年を取る。

人生の中の、

ただ仕事を見る以外の

成長と

恋愛と

結婚と

子育てと

老化と

それでもし

若い頃に期待されたものが出なくなって

それは

能力をつぶされた、

って言われるのが

適しているのだろうか

 

人間は変化するから、

その中で、もがく

自分の変化を押さえつけたら

こわがったら、

それが一番苦しい

 

自分の変化を許してくれる

環境と

自分自身

それをやわらかい素材で作って

纏うのがいい

 

硬い殻を纏ってしまって

大きくなりたい自分が

つぶされないように