テトラポットの政

ひとりごと、ことばの新陳代謝

MA 5月 JCT

分かれ道にいる。

 

どっちに行こうと、死ぬことはないし、

先をすすめば、また、曲がれる道はあると思う。

 

でも、この

分かれ道に立っている感覚が好き。

 

たいてい、ひとつは想像できる未来で

 

もうひとつは先が想像できない道。

 

どの場所にたどり着いても学ぶ事はたくさんあったから

ここまでの選択に

とりわけ後悔はしていないけれど、

あらためてまた分かれ道に立つと

しばらく目をつぶってきた何かが見えたりする。

 

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じつは建築に興味があって

 

じつは科学に興味があって

 

もっとシリアスな問題にも興味があって

 

でも距離を置いていた。

 

学部のおわるときに

「ものづくりが大好きなくせに自分の作った物が好きになれない」

っていうことに気付いてショックを受けた。

 

〈コンセプトは好きだけど最後のモノがどうにも消化できない〉

〈作りたくて作ったモノは好きになれるけど、コンセプトが弱い〉

っていうどっちもどっち

 

自分が好きになれないものを、だれが好きになるんだろう、

デザインやってて楽しい瞬間って何だったっけ、と色々考えて、

 

ここ一年は素材にアプローチした。

 

自分の頭を信じきる(コンセプトに取り憑く)のをやめて、

素材をスタディしながら手からアイディアを探していくことに

「決めた」一年

 

わざわざこの大学院で、親にお金払ってもらってロンドンまで来て、

もがいたけど何にも得られなかった、みたいな感覚は絶対嫌だったから

 

で、正確に言えば7ヶ月やってみて、いま分かれ道

新しいプラットフォームが決まった。

 

5年後どうなっていたいか

を考えてみたら、

正直に答えたら

 

ちょっと

またこことは

違う道を選びたいって、

自分の声がきこえてきた

 

先月、ミラノに行って、

 

「憧れ」の気持ちは「好き」と違った

って気付いた子どもみたいに

ここに行きたい訳じゃないなってうっすら思った。

 

最近その気持ちを自分で鈍らせていたように思う。