テトラポットの政

ひとりごと、ことばの新陳代謝

最高より最適

初めてお茶のお稽古に行った。

やりたいなとぼんやりしていた事のひとつで、

友人との出会いもあり、

今やらなかったら、ずっとやらない気がして

参加した。

 

「最高のことをやるか、最適なことをやるか」

 

0か100で何かを考えている事が多かった。

やる前に、これは今本当にやるべき事なのか、

私は本当にこれがやりたいのかって。

 

なにがethicalなデザインなのか、

デザイナーはどうあるべきなのか、

べき、で考えるとそこに答えらしきものは出るけれど、

それをすべて自分で叶えるのもあまり現実味がないし

やりたいとも思わない。

それでもやらなきゃいけないんだと勝手に思っていた。

 

これから「世界に」「社会に」必要なこといらなそうな事、

じぶんが気づいた事をすべて自分がやらなきゃいけない訳じゃなく、

ただそうあった方が良いというひとつの選択肢であって、

自分のやる事は世界や社会の一部でしかなくて、

例えばそれをやることで自分が苦しむだけだとしたら

それをやる「べき」なんてことは無いんだと思う。

 

やるかやりたいかは自分で判断したい。

 

自分の中で最大限の努力をするのは

後悔しないためにいいことでも

最高の人生、選択肢、判断をもとめて生きていたらきりがないし、

それってつらい。

自分の最高、を考えるだけで謎すぎて、

もはや最高かどうかは人生が終わるまでは判断できないし

比較の無限ループ。

 

ナンバーワンより、オンリーワン、

って考え方はわかるけれど、

自分で消化しようとしたときにどこかしっくり来なかった。

 

相対評価より絶対評価

自分の頭で自分なりの答えを出すこと、なのかな

 

最高より最適、

 

0か100かの話に戻ると、

もっと試し食いをしてからいろいろ決めてもいいのかな。

始めたら続けないとかっこわるいとか中途半端なやつだなんてことはなくて、

やってみたら合った合わなかったもあるだろうし、

そんなに身構えなくてもいいのかな

最高を求めるために全部試す必要もなくて、

 

試して、もっとやりたかったやればいいし

 今じゃないなって思ったら保留にすればいいし。

 

オンリーワンは絶対的な価値でも気負いでもなく

自分で試して、考えて、判断して、やること。

 

 

未練 ー未だ練れていない、まだ消化できない状態、悩み

自分で判断する ーお茶碗の正面はどこで、何が自分の意見か、道を渡ることも判断

生きていることの価値 ーそれが無いとしたら自分はどうするか、楽しもうよ

モノを持つこと ー死んだら全部ゴミ、なにが価値で、今それをどうしたくて、ただの執着なのか

最適 ーgood balance