テトラポットの政

ひとりごと、ことばの新陳代謝

ロンドンは曇りでもハワイは晴れている

サマータイムが終わって、もはや四時半に日が沈むロンドン。

 

去年もこの冬を経験したとはいえ、

どよんとした日が続くと、

 部屋から出る気も起きず、

 アイディアも行き詰まってもんもんとしていた。

 

マツダミヒロさんの夏のビジネスコースを受講して、

最初の数回以降つまずいて、

中断してしまったプレッシャーも心のどこかにあった。

 

今日こそ家から出ようと思い立ち、

未開封放置していたメールをやっとの思いで開いて、

ミヒロさんのラジオ「ライフトラベラーカフェ」を聴き始める。

 

るんるんした音楽と、

ハワイの話を聴いて、

なんで早く聴かなかったんだろうって思った。

変なプレッシャーとかはもうどうでもよく、

どんよりした部屋から一気にハワイに飛んだ。

 

水着を作ってみたくてやったこともないのに作り始めちゃったマリさんの話、

さらに好きで好きでアクセサリーを作り続けている話。

  

準備をしなくてもいいんだ。

やってみてもいいのか。

じゃあ何がやりたいの? 

 

「やりたい!」って叫べるような、本当に好きって言えることを、

 もういっかい、自分に確認してみようと思った。

 自分の仕事だと思うとシリアスになりすぎて、

 最初は好きで始めたプロジェクトでも

 「楽しい」をいつもどこか道の途中に置いてきてしまう。

 

本人が楽しんでるエネルギーって周りをきっと魅了する。

そして人が集まってくるんだと思う。

 

 「最初は不安だったけどやってみたら何とかなった」

 って話は励みになる。

 

自分の近くに、自分のやりたいような生き方、仕事の例がない中で、

自分の生き方を、過ごしたい場所を素直に探すのは、「信じる」のは

予想以上に難しいなと思った。

誰が味方してくれるんだろう?自分だけ?

 

100歳のときに何をしていたいか、を考えているときは良くても、

それがすぐに日常の雑音にかき消されてしまう。 

 

ライフトラベラーカフェで話を聞くのは

「こうやって生きても良いんだ」

っていう空気を感じて、

自分のやりたいことを信じて背中を押せるきっかけになりそう。

 

端から「やりたいことやっててうらやましい」って見えるのと、

自分が心から思えているのとは大きく違う。

 

自然と関わって、そのエネルギーの合間でデザインをしていきたいって思いながら、

植物のプロジェクトをやっているのに、

都会のど真ん中の建物に籠っている違和感とか。

 

でも一番恐いのは親に

「留学までさせてあげたのに、期待はずれ」

って思われることだって気付いた。

 

親への感謝と、自分の人生と、仕事。

 

来年の夏、この修士が終わったらどこに行くか、どこを拠点にして何をするか。

100歳のときに何をしていたいかも、

頭が自由でいられるうちにもう一回質問しなおしてみよう。

 

 

マツダミヒロのラジオ番組「ライフトラベラーカフェ」
http://apple.co/1MtXviY

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つぶされるな

あの人が言った

 

恋愛に気をつけろ と

 

若い頃の判断で結婚はするな と。

 

恋愛をして

結婚をして

潰された才能を俺はたくさん知っている

 

だから、

そうなってほしくない と。

 

あの人の言うことは、

たいていにおいて

今まで正しかった。

そのときはいくら耳が痛くても。

 

だからそう言われたのが悲しかった。

 

私にとって恋愛は人生そのもので

つらくても、苦しくても、死にたくなっても、

呼吸のように恋をしてきた

 

死ぬほど嬉しくてドキドキして

あんなに誰かに会いたくなって

切なくなって

こんな大切な感情を恋愛の他に知らない

 

意識よりもっと深い無意識のようなところで

今までもこれからも私は

それを自分自身として

生きていく気がする

だからもし

未来にそれを否定したら、私の

とても大切なものが

否定されるような気がして

悲しかった

 

ふと、

ほんとうに

あの人が見てきた人たちは

つぶされた

のだろうか

 

と考えた。

 

名の知れたクリエイターはたくさんいる

たくさんの人に憧れられながら、

そのトップを走り続けて、

でもその生涯を知って

私はそれを幸せとは思えなさそうな人生。

 

結婚して、

落ちついて、

本人が前より幸せでも

それを他人が

才能がつぶされた

という。

 

その期待は、

世の中にとって価値のある何かだとする

世界の中のちょっとした価値だとする

でもその人の人生は一回で、

その人の中にある感情がその人の人生で

幸せを感じるのも悲しみを感じるのも自分

他人ではない

 

誰かの期待通り何かを成し遂げること

それが幸せであるとは限らない

その期待が本人の期待であったとしても

誰かの期待に塗り替えられてはいないだろうか

 

まわりの期待の無責任さは

時にそのひとを苦しめる

 

社会での役割のまえに

人は人間であって、年を取る。

人生の中の、

ただ仕事を見る以外の

成長と

恋愛と

結婚と

子育てと

老化と

それでもし

若い頃に期待されたものが出なくなって

それは

能力をつぶされた、

って言われるのが

適しているのだろうか

 

人間は変化するから、

その中で、もがく

自分の変化を押さえつけたら

こわがったら、

それが一番苦しい

 

自分の変化を許してくれる

環境と

自分自身

それをやわらかい素材で作って

纏うのがいい

 

硬い殻を纏ってしまって

大きくなりたい自分が

つぶされないように

すきとしごと

昔よく聴いていた歌を聴いた

 

そのとき描いていた絵を思い出した

 

夢中に、

時間も忘れて、

やりかたも分からないまま

でも楽しくて

夜遅くまで

 

今、

それを仕事にした今

そんな気持ちで描いているだろうか

つくっているだろうか

時間も忘れて

 

ただのわくわくは消えた

もうひとつの冷静な目に

見られているこわさのなか、

それを越えて

うまくなくても

作り始めたとき

 

やっぱり楽しくて

わたしはそれを嫌いになっていなくて、

まだまだ大好きで

 

安心した。

自分のあたま?

ハウツーを読むんじゃなくて、

 

自分の頭で考える事。

 

でも自分の想像力の限界も同時に感じる

 

誰かと話したり、そういうきっかけも大事。

 

どこまでが誰かが言っていた事で、

どこが自分が考えた事か

っていうのを認識するのも大切そう

 

大量に情報を流し見ている間に、

知らず知らずのうちに

まるで自分が考えた事かのように、

誰かの意見を行ってしまいそうだから

MA 5月 JCT

分かれ道にいる。

 

どっちに行こうと、死ぬことはないし、

先をすすめば、また、曲がれる道はあると思う。

 

でも、この

分かれ道に立っている感覚が好き。

 

たいてい、ひとつは想像できる未来で

 

もうひとつは先が想像できない道。

 

どの場所にたどり着いても学ぶ事はたくさんあったから

ここまでの選択に

とりわけ後悔はしていないけれど、

あらためてまた分かれ道に立つと

しばらく目をつぶってきた何かが見えたりする。

 

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じつは建築に興味があって

 

じつは科学に興味があって

 

もっとシリアスな問題にも興味があって

 

でも距離を置いていた。

 

学部のおわるときに

「ものづくりが大好きなくせに自分の作った物が好きになれない」

っていうことに気付いてショックを受けた。

 

〈コンセプトは好きだけど最後のモノがどうにも消化できない〉

〈作りたくて作ったモノは好きになれるけど、コンセプトが弱い〉

っていうどっちもどっち

 

自分が好きになれないものを、だれが好きになるんだろう、

デザインやってて楽しい瞬間って何だったっけ、と色々考えて、

 

ここ一年は素材にアプローチした。

 

自分の頭を信じきる(コンセプトに取り憑く)のをやめて、

素材をスタディしながら手からアイディアを探していくことに

「決めた」一年

 

わざわざこの大学院で、親にお金払ってもらってロンドンまで来て、

もがいたけど何にも得られなかった、みたいな感覚は絶対嫌だったから

 

で、正確に言えば7ヶ月やってみて、いま分かれ道

新しいプラットフォームが決まった。

 

5年後どうなっていたいか

を考えてみたら、

正直に答えたら

 

ちょっと

またこことは

違う道を選びたいって、

自分の声がきこえてきた

 

先月、ミラノに行って、

 

「憧れ」の気持ちは「好き」と違った

って気付いた子どもみたいに

ここに行きたい訳じゃないなってうっすら思った。

 

最近その気持ちを自分で鈍らせていたように思う。

 

架空の人物像

決めつけられるのが嫌い。

こういう人でしょ?

って言われると、気分が良くない。

 

わかってくれるのは嬉しいし、

わかってくれようとするのは嬉しいし、

でも

それとはちょっと違う

 

こういう人ってたいていこうだよね、

っていう、その人の経験上のなかでの、

自分以外のひとのタイプにはめられると、

 

このひとは、

もし私がそうじゃないってわかったときに、

もしくは私が変わったときに、

気付いてくれるのかな、って思う。

そのひとの作り上げた人物像が

 

私を呑み込んで

勝手に一人歩きしないかなって。

小学生の私と、魔法の言葉

まだ数回しかしゃべったことない教授に

 

インターンをやりたいって相談をしたくて

その人が一番話しやすそうで

声をかけた。

 

インターンするの初めてで

日本ですらやった事無くて

どうしていいかわからなくて

この事務所はすごく

有名だってわかっているのですけれど

彼も同じくここの卒業生だって聞いたので

チャレンジできないかなって思って

 

って

緊張しながら、

彼がスタジオのキッチンに入ろうとしたところを

呼び止めて矢継ぎ早に話した。

 

自信がないのを、

この自分が応募して良い場所なのか

不安に、というよりも、

笑われるんじゃないかなんて

こころのどこかで

心配していたのを

読み取ったかのように

 

どうして、

きみも有名じゃないか

 

って彼は大真面目な顔で返した。

 

びっくりして

一瞬固まって

 

いや、まだです

 

と笑って答えたけれど、

 

その一言は、

その一瞬は、

 

ロンドンに来てからもらったどんな言葉よりも

衝撃で

泣きそうなほど

優しくて、

 

どれだけ自分がいつまでも

自分の事を

学生で、アマチュアだと思っていて

そこから本気で抜け出そうとしようとしてなかった

ことを

見抜かれたような、

 

アジア人である劣等感を

奥底では拭いきれなかったそれを

一瞬で吹き飛ばすような、

 

魔法の言葉だった。

 

自分が小学生に戻ったような

そして先生と喋っているような

気持ちだった

自分は、こどもだった。

 

 

それが彼にとっては

ただの軽いジョークだったとしても

 

本当に有名になれたら

また彼と喋ってみたい

今日の事を

 

きっと覚えていないだろうけど