カタツムリの膜
自分の感覚、というものがここに鮮やかにある。
日本語でならその感動を、不満を口に出来るものが、
英語だとそうはいかない。
いくら言葉が口をついても、それはそのまま心の声じゃない
だから、心にたまっていく
悪い意味でストレスのときもあるはずだけど、
それも含めて、いろんな感覚が鮮やかに自分の中にある
とてもそれが気持ちがよいとき、
誰かに、誰かと話すのを少しためらう
論理的なものの議論ならしたくても、
感覚を理解してくれる人ができる恐さもある
理解してほしいけれど、してほしくない
してくれても、ある距離でいたい
自分の感覚が自分のものであるという実感を、
カタツムリが自分の乾燥を防ぐ薄い膜のように、
少し覆ったまま、澄ましていたい